紀行  高野辰之のふるさと

長野県下水内郡豊田村大字永江

 
高野辰之(1876-1947) は、1909年文部省の小学校唱歌の編さん委員に委嘱され、作曲家の

岡野貞一とのコンビで「春の小川」・「紅葉」・「故郷」・「朧月夜」などの名曲を生み出しました。

今回は、生まれ育った長野県北部の豊田村を訪ねてみました。

 

替佐駅・・・長野から飯山線で替佐駅下車、バスで高野辰之の実家のある永江地区へ

 

高野辰之記念館

〒389-2104 長野県下水内郡豊田村大字永江1809 .0269-38-3070

 

高野辰之は、豊かな農家の生まれで、父は高井鴻山(小布施の豪商、維新の先覚者、北斎

との交流)のもとで学ぶなど教養の高い人でした。その影響か、辰之は子どもの頃から学問

に親しんでいったようです。辰之は、日本演劇研究の第一人者で出版書多数。文学博士。

 

記念館2階から(記念館の館長さん?にいろいろ話をうかがうことができました)

 

実家の裏手にある山が、「かの山」だそうです。「うさぎ追いし」は、冬、うさぎを狩るときに、

子どもたちがうさぎを追い出して、大人が鉄砲でうったということです。冬の貴重なたんぱく源

でした。

 

「ながみね」と呼ばれる長い丘。実家から見て「かの山」とは反対方向。この下を「かの川」が流れている。

 

この長い丘のふもと一帯に、菜の花が植えられていました。菜種油は当時、貴重な収入源

でした。明治の中頃までは、あんどんなど使用されていたそうですが・・・・・。

 

辰之の実家

 

実家の裏手から・・・向こうに菜の花の丘が見える。

 

おぼろ月夜の「かねの音」のモデルと言われている真宝寺のつりがね。実家にほど近い。

 

斑川・・・丘の下を流れ、千曲川へ(春に来たいな・・・・・)

 

「春の小川」の原詩は、「さらさら流る」「ささやく如く」でした。当時、文語体は好ましくないと

 編集されたのだそうです。また、辰之が住んでいた東京の代々木を流れる小川のイメージ

 も重なり合っているといいます。

 

斑川にそい、「春の小川」の記念碑のすぐ近くに「おぼろ月夜」の碑がある。目の前に菜の花の丘。

 

ちょっと寄り道

 

野沢温泉(スキー発祥の地・野沢菜産地)の朝の風景。源泉のゆげ。遠くに美しい山々。

 

野沢菜は京都?の菜を持ち込んだところ、独特に変化したもののようです。年明けに新漬

 ができるとか。

 

帰りに小布施に立ち寄り、日本のあかりや歴史資料を集めた博物館や北斎館(北斎は高井

鴻山の招きで何度と小布施に滞在し、いい仕事をしています。)に行きました。

寒い中、待ち時間が大変でしたが、ローカル線の旅っていいですね。

ゆったりした時間と空間が、とても豊かに感じられました。

DEC.2000